『人生論ノート』三木清
「愛するもののために死んだ故に彼等は幸福であったのではなく、反対に、彼等は幸福であった故に愛するもののために死ぬる力を有したのである。」
この本は、戦前に書かれた。国の将来が危うくなっており、閉塞感を打破しなければいけないという焦りがあった時代だ。
三木清はそんな時代に、人間が生きる意味を問うた。
人間の幸福とは何かを考えなくなった社会が暴走すると、いかに繁栄しようと、それは破滅に向かう危険性がある。
社会が人間の幸福を忘れていないか、絶えず注意を払いなさい。
そう教えてくれたように思える。
幸福とは?
幸せとは?
それは、
「幸せにする」とか、
「幸せにしてもらう」とか、
ましてや
「幸福を奪う」とか
「幸福を与える」とか
他者の存在に依存したものではなく、
自立的かつ単純に
「感じる」ものだと思う。
でも、
当然それは唯我独尊では成し遂げられるわけもなく、
社会や組織、地域や家族
といった自身を取り巻く環境に
身を置く中でこそ得られるもの。
そこには必ずと言っていいほど
一喜一憂
七転び八起き
喜怒哀楽
といった人生の起伏がある。
他者との関わりの中で、
憂いを知るから、
倒れた経験があるから、
哀しかったことがあるから、
怒ったことがあるから、
その後に訪れる喜びや楽しみを
幸福と「感じる」ことができる。
台風一過の涼風を感じながら、
このログを自らの人生論ノートの一ページに記しておこう。
価値観の近い人発見!?
小職の人生の目標は『いつまでも幸せを感じ続けていられること』なので、コラム中の太字の部分が見事にマッチ!と思った次第です。
人生論ノート | |
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BOOKデータベースより
目次:
死について
幸福について
懐疑について
習慣について
虚栄について
名誉心について
怒りについて
人間の条件について
孤独について
嫉妬について〔ほか〕
MARCデータベースより
『文学界』『哲学研究』などの掲載をまとめた一冊。哲学者、社会評論家であると同時に、文学者でもあった著者が、死、幸福、懐疑、習慣、虚栄、名誉心など、人間のあらゆる一面について率直に綴る。