2007年05月25日

日本銀行創業の地

日本銀行創業の地

明治十五年十月十日 日本銀行はこの地で開業した

明治二十九年四月 日本橋本石町の現在地に移転した
創業百周年を記念して この碑を建てる

昭和五十七年十月
日本銀行総裁 前川 春雄


ほほぉー
そんなゆかりの土地だったとは、知りませんでした。

IBM箱崎事業所 IBM箱崎事業所


そう言えば、『いざなぎ景気を超えたリストラ景気』って、その後の命名どうなったんでしょう?


歴史年表 − 日本銀行の機能と業務に関係する歴史的事項


日銀はだれのものか
日銀はだれのものか中原 伸之 藤井 良広

中央公論新社 2006-05
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star異色の政策委員の回顧録
star第4の権力
star唯一の良心が日銀の4年間を振り返り提言する

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BOOKデータベースより
金融政策決定の内側と日本経済の将来。政策転換で景気、為替、株価はどうなる。
目次:
第1章 金融政策に向き合う―一九九八年四月まで
第2章 ゼロ金利への挑戦―一九九八年四月以降
第3章 ゼロの攻防―一九九九年
第4章 ゼロ金利解除―二〇〇〇年八月まで
第5章 量的緩和策導入への道―二〇〇一年三月まで
第6章 量的緩和以降
第7章 原油高を読む
第8章 日本経済と日銀の将来
MARCデータベースより
日本銀行の審議委員を務めた著者による、金融政策についての回想録。金融政策決定の現場体験から、長期不況に対する日銀の責任を問い、政策転換が景気、為替、株価などの日本経済にどのような影響を及ぼすかを検証する。
商品の説明
日銀はだれのものか
新日銀法が施行された1998年4月から2002年3月まで、日銀の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員を務めた著者の回想録。政策委員会の中身は、議事録が10年後に公表されるまで明らかにしてはならないことになっているが、既に公表されている議事要旨の範囲内で、著者の思いや政策決定までの経緯を振り返る。
1998年当時、日本経済はデフレスパイラルに陥る瀬戸際に追い詰められていた。著者は審議委員に就任後まもなく金利引き下げを、その後ゼロ金利や、さらなる追加緩和策を提案。これらは少数意見として否決され続けるが、経済情勢のさらなる悪化で、後追い的に採用されていく。2000年8月、著者は強く反対したが、景気が上向いたとの判断でゼロ金利は解除される。ゼロ金利解除後、景気は反転。結局、追加緩和が必要となり、著者が主張してきた量的緩和策が採用されたという。本書では、こうした過程での政治家や日銀幹部とのやり取り、委員会内部の“票固め”の様子などが描かれる。
日銀のあり方についても考察する。政策委員会の構成、審議委員の選び方、人員削減などに言及する。また、政策運営で失敗しても責任を取らない現在の状況を是正するため、政府に総裁の罷免権を与えるべきと提言する。
(日経ビジネス 2006/07/17 Copyright©2001 日経BP企画..All rights reserved.)
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
中原 伸之
財団法人アメリカ研究振興会理事長。1934年東京都生まれ。57年東京大学経済学部卒業。59年ハーバード大学大学院修士課程修了(M.A.)。同年東亜燃料工業株式会社(現・東燃ゼネラル石油株式会社)入社。66年同社常任監査役、74年常務取締役を経て86年代表取締役社長。94年同社名誉会長。98年4月より2002年3月まで日本銀行政策委員会審議委員。02年10月より05年5月まで金融庁顧問。98年藍綬褒章受章。この間、上智大学、慶應義塾大学ビジネススクール、東京大学等で教鞭をとる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

posted by 課長007 at 18:39 | 東京 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 日本銀行創業の地
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