2007年05月04日

中間管理職といえば

日本課長の会・主宰、課長007です。^^;

朝日新聞・アスパラクラブで、
『中間管理職といえば・・・この著名人』というアンケートをやったそうです。

コラムだけなので詳細は不明かつサイトにも情報見当たらずですが、小さいことは抜きにしてランキングだけログっておきます。


女性の部

1位 黒木瞳
(くろき ひとみ、本名:伊知地 昭子、旧姓:江上、1960年10月5日 - )は、日本の女優。福岡県八女郡黒木町(くろぎまち)出身。

宝塚歌劇団の元月組トップ娘役。
芸名は出身地の黒木町に因んで同郷の五木寛之(福岡県八女市出身)が命名した。
宝塚歌劇団在団時の愛称はショーコちゃん。
身長163 cm。血液型はA型。オフィス稲垣所属。


2位 久本雅美
(ひさもと まさみ、1960年7月9日 - )は、日本のタレント、司会者、コメディアン、女優である。愛称は「ヒサモト」、「マチャミ」。大阪府大阪市平野区(生まれた当時は東住吉区)出身。WAHAHA本舗所属。創価学会員としても有名。身長154cm、体重37kg、血液型A型。大阪市立加美小学校、大阪市立加美中学校、大阪府立勝山高等学校、金蘭短期大学国文科卒。実妹はタレントの久本朋子。両親は徳島県出身。


3位 篠原涼子
(しのはら りょうこ(本名:市村 涼子)、1973年8月13日 - )は、日本の女優、タレント、歌手。

群馬県桐生市広沢町出身、群馬県伊勢崎市生まれ。桐生第一高等学校中退。ジャパン・ミュージックエンターテインメント所属。夫は俳優の市村正親。身長162cm。体重45kg。血液型B型。


4位 真矢みき
(まや みき、1964年1月31日 - )は、日本の女優。本名:佐藤美季(さとう みき)。身長は167cm。血液型はO型。趣味・特技は、旅行・絵・日舞・歌・ダンス・バトン・作詞。ブルーミングエージェンシー所属。広島県広島市出身、大阪府豊中市育ち。


5位 天海祐希
(あまみ ゆうき、1967年8月8日 - )は、日本の女優。本名、中野 祐里(なかの ゆり)。

東京都台東区上野出身。宝塚歌劇団の元月組男役トップスター。

血液型O型。身長171cm。研音所属。スリーサイズB88・W58・H88。


宝塚(しかも男役)、強いですねぇ


男性の部

1位 島耕作
(島耕作 から転送)
『課長島耕作』(かちょう しまこうさく)は、「週刊モーニング」(講談社)に1983年から1992年まで掲載された弘兼憲史の漫画。シリーズ作品に『部長島耕作』『取締役島耕作』『常務島耕作』『専務島耕作』『ヤング島耕作』(ヤングのみ、掲載誌は「イブニング」)がある。


2位 佐藤浩市
(さとう こういち、男性、1960年12月10日)は東京都出身の日本の俳優。身長182cmで、血液型はA型。所属事務所はテアトル・ド・ポッシュ。

日本映画史に残る大俳優・三國連太郎を父に持ち(母は三國の二度目の妻であった女性)、映画・テレビドラマ・CMを中心に安定した演技力と圧倒的な存在感で数多くの受賞歴とファンを持つ、現代の映画界に欠かせない俳優である。


3位 谷啓
(たに けい、1932年2月22日 - )は、日本の俳優、コメディアン、トロンボーン奏者。本名、渡部 泰雄(わたべ やすお)。


4位 原辰徳
(はら たつのり、1958年7月22日 - )は、福岡県大牟田市出身、神奈川県厚木市・相模原市育ちのプロ野球選手(現役期間1981年〜1995年)、プロ野球監督(2002年〜2003年、2006年〜)。現役時代は読売ジャイアンツ所属の内野手及び外野手。

現在は読売ジャイアンツ監督、同球団名誉顧問。右投右打。愛称は「若大将」。あるいは「タツ」「平成の若大将」「ヤング・ミスター」「永遠の若大将」とも呼ばれる。いわゆる「ポストON世代」の筆頭。

高校時代から甲子園のアイドルとして大変な人気があった。

愛車はレクサスLS460


5位 西田敏行
(にしだ としゆき、1947年11月4日 - )は、日本の俳優。福島県郡山市出身。明治大学付属中野高等学校卒業、明治大学農学部中退。身長166cm。下膨れの顔と、ずんぐりむっくりした太った体型がトレードマーク。映画「釣りバカ日誌」は1988年から続く代表作。


ま、こんなもんですか

アンケートの詳細が公開されたら追記しますね。


中間管理職とは 〜 exBuzzwords用語解説
英語訳 Middle Management
中間管理職とは、管理職でありながら別の上位管理職の人物の指揮命令系統下にある管理職のことを指す。
一般に、次長、課長を指し、部長は取締役の指揮命令に従うことから含まれないことが多い。



哀愁の中間管理職 サバ課長 仕事なんかでクヨクヨするな!
哀愁の中間管理職 サバ課長  仕事なんかでクヨクヨするな!花村 夢之丞

実業之日本社 2006-02-01
売り上げランキング : 178286

おすすめ平均 star
star懐かしのサバ課長が本になっていた!
starどんな課長もサバ入ってる!
star上司に隠れて読むと二倍面白いよ!

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

BOOKデータベースより
サバ課長は、鋭い切れ味で仕事をこなすタイプではありません。ミスをしては上から怒られ、下からバカにされ、だけど、周囲の仲間をほんわか和ませる癒し系の人(魚?)。仕事の天才ではないけれど、人生を楽しむ生き方の達人。このサバ課長が人生にホントに大切なものを教えてくれます。
MARCデータベースより
サバ課長は、ミスをしては上から怒られ、下からバカにされ、だけど、周囲の仲間をほんわか和ませる癒し系。サバ課長が人生にホントに大切なものを教えてくれます。ケータイ・サイトで話題のキャラが本になりました。


代官の日常生活―江戸の中間管理職
代官の日常生活―江戸の中間管理職西沢 淳男

講談社 2004-11
売り上げランキング : 186469

おすすめ平均 star
star代官トリビア

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

BOOKデータベースより
賄賂を受け取り、過重な年貢を強いる悪代官。しかし、それは代官の実像を伝えているのか―。増長する下僚に悩まされ、地震、飢饉などの危機に東奔西走。知られざる代官の素顔を明らかにし、幕府体制の礎を築いた江戸の中間管理職の悲喜交々を描く。
目次:
第1章 代官という仕事(地方と公事方―代官の基本業務
幕府官僚世界のなかの代官 ほか)
第2章 代官から見た幕政改革(江戸幕府成立と代官
将軍綱吉期の「賞罰厳明」策 ほか)
第3章 代官の転勤人生(奉職と赴任
赴任の旅 ほか)
第4章 江戸の代官(江戸の勤務形態
交遊する代官たち ほか)
第5章 代官たちの危機管理(下僚に悩まされる代官
大地震が発生したとき ほか)
出版社/著者からの内容紹介
「代官」という言葉を聞くと、多くの人がワイロを取り、百姓に過重な年貢を強いる「悪代官」を思い浮かべるだろう。はたして「悪代官」とそれに苦しめられる百姓というイメージは事実を伝えているのだろうか。
徳川将軍家領地は七〇〇万石、つまり全国の約四分の一を占めていたが、そのうちの四〇〇万石を五〇人前後の代官で支配していた。
一つの任地に六~七年在任し、二~三回の転勤をして現職のまま没したり、辞職するというのが平均的な代官像である。なかには在任五〇年、転勤・地方廻りを九回数える代官もいた。
彼らの標準俸給は、一五〇俵と旗本としては最低ランクであった。
現在の官庁で考えれば、キャリア技官の課長級の中間管理職で、自己の裁量で決裁できる事項はごく限られたものであり、稟議を経ないで独自の施策はほとんど行い得なかった。
さて、代官は本当に役得がある役職なのたろうか。代官が残した日記などを見ていくと、赴任にした代官は幕府を体現する存在として、現地入りに際しては近隣大名家や支配地農民から贈答や饗応を受けている。
また、中元や歳暮にかこつけて、幕府からの公金拝借の便宜を取り計らって貰おうと、過分な金銭を贈ってくる大名家もあった。
検見という課税のための廻村の際には最後に村々から徴収された数十両もの餞別が贈られた。
こう書くと、ずいぶんと役得のある仕事に聞こえるかもしれないが、その額は何百両になるわけではない。しかも、こうした各方面からの金銭・贈答は江戸時代では儀礼的慣習として、円滑な社会運営には必要悪(潤滑油)であり、必ずしも賄賂ではなかった。
しかし、一度代官に任命されれば、取り敢えず最初に一〇〇〇両、拝領屋敷を代官役所に改造するのに二〇〇両、赴任のための諸道具を調えたりに一〇〇両、引越に一〇〇両と何かと物入りで、結局二〇〇〇両もかかり、借金をせざるをえない。どんなに倹約しても借金返済に三〇年もかかり、子孫も迷惑し、よほど能力のない者でないと勤まらないと、兄二人を代官にもつ勝小吉(勝海舟の父)は語っている。
少なくとも、越後屋から山吹色の饅頭を貰っていたならば、借金だらけになるといったことはなかったはずである。
また、代官役所の業務時間は午前九時から午後三時で、休日は正月御用始めまでの六日間や盆中の四日間、その他は幕府の祝日に準じて休みとなった。代官の勤務時間はというと、十時から二時で、検見等の公務出張もあり、役所に常勤しているわけではなかった。通常は、勤務外の時間を人的交流などに費やしたりと、のんびりした生活を送っていた代官ではあったが、飢饉・災害など一朝ことあれば、粉骨砕身して事に当たる代官達の姿もあった。
現代のような通信手段のない江戸時代、災害等の危機的状況を目の前に、勘定所へ許可・指示を仰いでいたのでは手後れとなる。とはいえ、決裁を経ないで実行すれば、重大な越権行為として自らの立場を危うくすることになる。そうしたジレンマのなかで決断、救済を実行した代官たちも数多くいた。なかにはこうした行為によって処断された代官もいたが、前述のように顕彰される代官も見られたのである。
本当の代官の姿を知ると、「悪代官」という言葉は、もともと講談やテレビではなく、江戸時代のしたたかな百姓たちの創り上げた虚像とも思えてくる。そんな江戸の中間管理職の実像と同時に、お役人の世界が何百年経っても相変わらずである点を読みとっていただければ幸いである。

posted by 課長007 at 13:45 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | マネジメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 中間管理職といえば
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
カテゴリ
gooリサーチモニターに登録!



キーワードアドバイスツールプラス アクセスアップ・SEO対策・検索エンジン登録
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。