2009年04月09日

日本的経営の三種の神器を支えたものは新聞の宅配制度だったのではないか?

年度末ラッシュの追い込みに喘いでいた先週の書きかけネタです。


読売新聞「編集手帳」で取り上げられた事故の話しを紹介する朝日新聞夕刊のコラム「新聞ななめ読み」(無料会員登録が必要)を読んで、我が国の新聞の存在意義は宅配制度にあるのではないかという思いを強くした次第。

紹介されたのは、
読売新聞の配達スタッフが、配達途中に踏み切りで転倒し、散乱してしまった新聞を拾い集めようとしている間に亡くなってしまったという事故。(ななめ読みだったので齟齬があったらごめんなさい。)

「編集手帳氏」は、亡くなった配達スタッフが命を賭してまで届けようとした新聞の作り手・書き手として、その行為に見合うような記事を書いてきただろうかと自問する。

そして、その「編集手帳氏」の自問を目にした「ななめ読み氏」も、かつてNHKの記者として残してきた記事に、単なる批評家としてではなく、情報としての価値があるかと自問した日々を回想する。

そんな作り手側の息吹きであったり温度感であったりが、果たしてネットのニュースだけで代替できるようになるのだろうか?

ましてやこんな片手間のブログごときが、

検索エンジン経由で誤って訪問してくれた人々に数秒で直帰されてしまうような駄文が、どれほど読み手の知性を刺激してくれるというのだろうか?

一人の人間が、生涯の仕事として記者という仕事を選び、真剣に、本気で書き上げてくる記事の深さや広がりにかなうはずなんてない。

そして、そんな記事がたくさんつまった新聞を、くる日もくる日も、雨の日も雪の日も、決まった時間にきっちり届けてくれる配達スタッフを組織化して配達網を作りあげられるような国だったからこそ、世界に類を見ない高度成長を果たせたのではないだろうか?

確かに今の新聞屋には、ネットや人伝の裏の取れていない情報だけで記事を入稿してしまう記者がいるのだろうし、それをスルーパスしてしまうようなデスクもいるだろう。

そんな彼ら彼女らは淘汰されて然るべきであろう。

でないと本当に、じっくり落ち着いた状況で、あるいは集中しやすいサイズの紙媒体として、情報の取捨選択を訓練できるメディアがなくなってしまう。

記事の先に思いをいたすような想像力と思考力を鍛練してくれるメディアがなくなってしまう。

そうなったら誰が困るのか?


ネットやテレビの薄くてフローな情報だけを与えられる市民、

そんな市民たちに選ばれたリーダー、

そんなリーダーたちによる意思決定、


こんな世界がほんの数年で作れてしまいそうだ。

カトラー氏が危惧している『ファシズム』なんて、チョチョイのチョイで一丁あがりだ。

そんな世界で核爆発が起きたとしても、
「いやぁー、人工衛星飛ばしてみたんだけれども、途中で墜落しちゃってさぁー。でまた、そこに積んでた燃料が核融合起こしちゃったらしいんだよねぇー。みたいな。(笑)」
というつぶやきが『twitter』あたりに書き込まれて終わりである。


...こんな無責任な妄想をネットに公開してしまうのも、既に課長007がネットに侵食されているからだろう。

「このエントリーだってネットで書いているじゃないか!」

「ウザいから新聞の読者欄にでも投稿しとけ!」

おっしゃる通りのところもあるが、やはりこのテーマはネットに残しておきたいのだ。

日本的経営の三種の神器と言われているのは、
・終身雇用
・年功賃金
・産別労組
だったと記憶しているが、単純に制度や仕組みの話しではないと思うのだ。

日本国民の三大義務
・教育
・労働
・納税
が一国家の行動指針として明文化されていて、

特に労働・生産年齢に達してからの教育の部分を、新聞という報道・娯楽メディアが、毎日着実に家庭や職場に届けられることで補完してくれたのではないか?

さらに、複数紙を読み比べる機会が得られた場合には、メディア側の思想信条や視点の違いによって、物事の捉え方も多種多様であることに気付かせてもらい、ダイバーシティマネジメントなども知らぬ間に身に付けられたのではないか?

こんな発想が合っているかいないかは重要ではない。
まず、三種の神器ですべてがカバーできていたのか否かだ。

敗戦国の我が国に高度経済成長をもたらしてくれた要素として「労働者教育」があるということは「終身雇用」でカバーされているのだろう

ただ、個々の労働者の知識欲を充足させ成長意欲を高める情報媒体としての新聞が、いつでも手にとることのできる場所にあったという背景というか環境を見逃していないだろうか?

100年に一度
そう言われている目先の問題解決には役立たないかもしれないが、超長期の経済成長戦略構築にあたって、過去の成功事例を役立てる時に一考の価値ありと思いついた次第です。


日本的経営 - Wikipedia
日本的経営(にほんてきけいえい)とは、日本の経営慣行を指す言葉。特に戦中戦後に形成され、高度経済成長期からバブル崩壊にかけて実践されていた経営慣行を指す。

特徴
ジェイムズ・アベグレンの著書『日本の経営』(1958年)では、次の3点が日本式経営の特徴とされた。

終身雇用
年功序列
企業内組合
また、日本式経営は、西ヨーロッパやアメリカでは近代化の過程において解体した共同体が、企業体において再生産され続けたことによって成りたっていた面も指摘される。



社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
残念ながら「編集手帳」の当該記事は見当たらず、下記ブログで全文引用されてました。

ほかの何も論じられない - 読売新聞「編集手帳」に題名を付ける! - Yahoo!ブログ
2009、3、7(土)付 読売新聞「編集手帳」より全文転載

 漫談家で随筆や小説も手がけた徳川夢声に一句がある。<書くといふこと何かヒキョー

に似たりけり>。書き留めた日記に説明はなく、どういう背景があっての吟詠かは分から

ない◆日々のコラムを書いていて似た後ろめたさを覚えるときがある。たとえば警察の捜

査ミスに追及の筆を走らせつつ、「お前さんは机の前で偉そうに批判ばかりしているね」

と、もう一人の自分の声を聞く◆雨の朝、新聞配達の人に出会ったときも同じ声が聞こえ

る。「配達の苦労に負けない執筆の苦労をお前さんはしたかね」と◆きのうの朝、奈良県

香芝市の踏切で読売新聞の配達員、芦高喜代子さん(65)が電車にはねられて亡くなっ

た。配達のバイクで転倒し、落ちた新聞を拾い集めていた時の事故という。読者に早く届

けねば、その一心であったのだろう◆線路上に散乱した新聞には「編集手帳」も載ってい

た。命をかけて拾ってくれた芦高さんの霊前で恥じることのない、心のこもった記事であ

ったかどうか。読者の皆さんにはかかわりのない話だが、ほかの何を論じる気にもなれぬ

まま、独り言を聞いていただいた次第である。



朝日のコラムは、無料登録の会員制サイト・アスパラクラブに残ってました。
新聞ななめ読み
新聞navi_池上彰の新聞ななめ読み_新聞配達 苦労に報いる文章を
 小学生の頃から新聞が大好きだった私は、夕刊が届くのをよく楽しみに待っていました。学校から帰って近所で友だちと遊んでいると、夕刊を配達するお兄さんが、自転車でやって来ます。自宅から離れた場所で遊んでいたとき、私がよほど新聞を欲しそうな顔をしていたのでしょう。そのお兄さんが、「新聞を読みたいなら1部やるぞ」と言って渡してくれました。その嬉(うれ)しかったこと。

 そんなことを思い出したのは、3月7日の読売新聞朝刊の「編集手帳」を読んだからです。朝日新聞なら「天声人語」に当たるのが、このコラムです。

 「きのうの朝、奈良県香芝市の踏切で読売新聞の配達員、芦高喜代子さん(65)が電車にはねられて亡くなった」という文章で始まる一節。思わず姿勢を正しました。

 「配達のバイクで転倒し、落ちた新聞を拾い集めていた時の事故という。読者に早く届けねば、その一心であったのだろう」

 「線路上に散乱した新聞には『編集手帳』も載っていた。命をかけて拾ってくれた芦高さんの霊前で恥じることのない、心のこもった記事であったかどうか」

 コラムの筆者は、こう自問しています。それは、日々のコラムを書いていて、後ろめたさを覚えるときがあるからだそうです。

 「たとえば警察の捜査ミスに追及の筆を走らせつつ、『お前さんは机の前で偉そうに批判ばかりしているね』と、もう一人の自分の声を聞く」

 この文章は、私に鋭い刃として向かってきました。たとえば朝日新聞の記事の欠陥をあげつらいながら、「そういうお前さんは、現役の記者時代、ご立派な原稿を書いていたのですか」という、もう一人の自分の声をいつも聞いていたからです。

 偉そうに朝日新聞の記事を批判する私のコラム。そのコラムが載った新聞を読者に届ける朝日新聞の配達員の人たちがいるのです。その人たちの苦労に恥じることのない、心のこもった文章を、私は書けているのだろうか。私もまた、自問してしまいました。

 このところ新聞はインターネットに押されて苦戦しています。でも、紙の形で戸別配達されるからこそ、パソコンが苦手な人も、パソコンの電源を入れる時間のない人も、さまざまなニュースを瞬時に一覧できるのです。

 自宅で新聞が読めるのも、芦高さんのような人たちの苦労があってこそ。苦労が報われるような文章を、自分は書いているのだろうか。

(2009年3月30日付朝日新聞東京本社夕刊から)



ファシズムでチラッとリンクしたカトラー氏
カトラー:katolerのマーケティング言論: 森田健作の知事選勝利の影で、忍び寄るファシズムの足音 2009.04.07
荒唐無稽な不合理なことだから信じられる?

2009年の日本を覆っているのは、まさにファシズム招来につながるニヒリズムであり、ドラッカーが指摘した「大衆の絶望」である。



第14講 「止まった情報」の価値を知る:日経ビジネスオンライン
「動いている情報」には慣れていても「止まっている情報」は…

 「今の学生は、動いている情報を捕まえるのはうまいが、止まっている情報を読み解くことが苦手なようだ」と荒川は指摘する。動いている情報とは、ブログやインターネットの掲示板、短いニュース記事にあるような、何を話題にしているのか、深く考察しなくても分かり、また短時間で情報の価値がなくなってしまうようなものを指す。

 一方、止まっている情報とは、小説や随筆、論文、さらにニュースでも短い時事情報ではなく背景や理由なども考察された解説記事や1つのテーマを掘り下げた特集記事などで、情報の価値が瞬時に消えてしまわないものだ。

 最近の学生は携帯のメールで頻繁に連絡を取り合い、お得で、面白い情報を取ることには慣れている。それはそれで1つの技能と言えるが、その技能を磨くのに時間を費やしている分、止まった情報と向き合う機会が減ってしまっているのかもしれない。






ネットですべて事足りると思い込んではいけないいけないキケンキケン
ニュースサイトの特性 (オマケ:mixiニュースとライブドアニュースと痛いニュースの違い) - livedoor ディレクター Blog(ブログ)
でも今回はトレビアンニュースのお話しではなく、私が普段見ている“ニュースサイトの特性”を紹介したいと思います。



追記:

メディア・パブ: 新聞閲読の97%は新聞紙、新聞社サイトはわずか3% 2009年04月14日
 新聞のキングは、新聞紙であって新聞社サイトではない。新聞閲読のページ数や接触時間は、96%以上が新聞紙であって、新聞社サイトはわずか3%程度しかない。

 このように新聞社関係者が小躍りして喜ぶようなデータを、 Nieman Journalism Labの Martin Langeveldが発表した。まず彼の言い分を聞いてみよう。

〜中略〜

 高価な新聞広告の対象者であった新聞読者が、新聞社サイトをほとんど見ていないということは、新聞紙の主要広告が新聞社サイトに流れないということか。得体のしれないオンラインなんかよりも、やっぱり新聞“紙”で頑張っていきたいと考えている新聞社経営者にとって、このレポートは恰好の応援歌になりそう。

さすが、深イイ...^^;


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■目次
序章 新聞とはなにか(『新聞社』のセンセーション
新聞危機説、じつは「業界」危機説
新聞という言葉のルーツ
新聞と新聞紙
社会の意識、社会の現象
周縁から見つめる〈新聞〉なるもの)
第1章 新聞という「場」を再生させる―旧鹿児島新報社OBたちの闘い(廃刊の光景
最後の紙面
「位一県一紙」に逆戻り
発言する市民
地域密着
「だれでも記者」
「みんなでネット鹿児島」って?
当事者の発言、そしてパブリック非営利組織による復刊の可能性
時間というもうひとつの敵)
第2章 コミュニティに回路を開く―神奈川新聞社カナロコ編集部(首都圏の地方紙
朝日新聞社のグループ企業
ニュースになった「カナロコ」
新聞とブログ
言論空間の広がり
周縁だからこそ自問
ふつうの暮らし、ふつうの感覚
ブログ「炎上」を肥やしに
カナロコ効果と課題
ニュースをアグリゲートする新規事業)
第3章 “新聞”を創るということ―『みんなの滋賀新聞』の挑戦と挫折(四半世紀以上も地元新聞を持たない県民
新聞紙を必要とした地元経済界
徹底したマーケティングリサーチ
「ジャーナリズム」よりも社会基盤
新しい新聞のかたち
創刊前のいらだち
厚かった「業界」の壁
新聞の原点はどこに)
第4章 新聞を救う(学問と現場をつなぐ知
産業論が盛んな理由
困難に直面する業界・産業
〈新聞〉の淵源
近代新聞の正統性を示す「公共圏」
「新聞」再生は「社会空間」の再生
パブリックジャーナリズムという社会運動
危機的な状況のなかで
鹿児島、神奈川、滋賀の事例を再考する
イデオロギーと人間観
再生の芽、いたるところに
熟議の資源づくり)
■内容(「BOOK」データベースより)
「新聞の危機」が唱えられて久しい。しかし巷で議論されているそれは、たんに「新聞業界の危機」に過ぎないのではないか?大手紙の視点からは見過ごされてきた周縁的な場所、そこにこそ、「新聞なるもの」の本質と可能性が見いだされるのではないか?コミュニティからの挑戦と挫折、そして再生。地方紙の試みから新聞の可能性を探る。
■著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
畑仲 哲雄
1961年大阪市生まれ。関西大学法学部卒業。毎日新聞社、日経ホーム出版社を経て、91年より共同通信社に勤務。現在、編集局デジタル編集部部長職。勤務と並行して2004年、東京大学大学院情報学環学際情報学府入学。現在、博士課程に在籍。研究テーマはマスメディア・ジャーナリズム(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

posted by 課長007 at 09:25 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | マネジメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 日本的経営の三種の神器を支えたものは新聞の宅配制度だったのではないか?
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